キックベースやその他の出来事の日記です。
プロフィール

南市岡 前川

Author:南市岡 前川
マエブロへようこそ!
くだらない日記です。
我慢して読んで下さい。
私を表現する言葉
「風林火山」

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム
カウンター

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

瞬間視力でドン

Flashリバーシ
画面下を人々がお散歩するブログパーツ(Twitter連携可)
フリーエリア
ブログ内検索

RSSフィード
リンク
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
大阪の夜の町を
何の理由も意味もなく
ただブラブラ歩くだけ・・・
でも、何か新発見があるのでは・・・
と微かな希望を持ちながら
今夜もオッサンが旅に出る・・・


天神坂を歩いていると
真田幸村の生涯ってどうだったんだろう、
亡くなる時って
どんな気持ちで・・・

色々考えても仕方ないので
とりあえず歩いてみよう・・・

ということで
幸村ロードからスタートです。
DSC_6877.jpg
******************
真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、
安土桃山時代から江戸時代初期
にかけての武将。真田昌幸の次男。

江戸時代初期の大坂の陣で活躍し、
特に大坂夏の陣では、寡兵3500
を持って徳川家康の本陣まで
攻め込み家康を追いつめた。

戦国乱世最後の英雄であり、
大坂の陣を契機に、この合戦に
参陣・参戦した将兵による記録・証言が
基となって、江戸幕府・諸大名家の
各種史料にその戦将振りが記録された。
さらにはその史実を基に講談や小説など
に翻案、創作されるなどして、
ついには真田十勇士を従え
宿敵・徳川家康に果敢に挑む
英雄的武将・真田幸村として扱われ、
国民の間に流布するに至った。
そのため幕府・諸大名のみならず広く
一般庶民にも知られる存在となった
人物である。
******************
JR玉造駅から日の出通り商店街までの
小道は只今「幸村ロード」となってます。

まず幸村公・・・
DSC_6878.jpg
自転車に乗っている訳ではありません・・・

そして真田十勇士たちが・・・
DSC_6870.jpg

DSC_6871.jpg

DSC_6872.jpg

DSC_6874.jpg

DSC_6875.jpg

DSC_6876.jpg

DSC_6879.jpg

DSC_6880.jpg

DSC_6881.jpg
******************
真田十勇士(さなだじゅうゆうし)

戦国時代末期から江戸時代初期にかけて
の武将・真田信繁(真田幸村)に仕えた
とされる、10人の家臣のこと。
伝承上の架空の人物といえるが、
歴史的な由来を持つ人物もいる。
立川文庫以来、基本的な構成は、
猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、
三好伊三入道、穴山小介(穴山小助)、
由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、
根津甚八、望月六郎
の10人となっているが、
作品によって差異が見られる。
******************
DSC_6869.jpg

商店街を抜け、真田山へ・・・
DSC_6883.jpg

宰相山公園に真田幸村の像があります。
DSC_6893.jpg

DSC_6894.jpg
でも暗くて見えねー・・・

大坂城への抜け穴を掘った跡です。
すごい技術と労力があったんだなと
感心します。

さて、三光神社です。
DSC_6886.jpg

DSC_6887.jpg

DSC_6888.jpg

DSC_6890.jpg
******************
三光神社(さんこうじんじゃ)

大阪府大阪市天王寺区玉造本町の
宰相山公園にある神社である。

天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀る。

反正天皇の時代の創建と伝えられる。
創建以来、武内宿禰の末裔の武川氏が
神職として奉職し、
現在は86代目と伝える。
社伝によれば、寛文元年(1661年)に
一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、
宝永3年(1706年)に再び現在地に
戻ったという。かつては「姫山神社」
と称し、一帯は「姫の松原」
と呼ばれていた。

中風封じの神として有名な
陸前国宮城郡青麻(
現 宮城県仙台市宮城野区)の
三光宮(現 青麻神社)を勧請し、
そちらの方が有名になった。
明治15年(1882年)の『大阪名所独案内』
に三光宮を勧請した旨が書かれており、
勧請はそれ以前ということになる。
明治41年(1908年)、
姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、
社名を「三光神社」とした。
3柱の神を祀ることから
「三柱神社」とも、「日月山神社」
ともいう。

鎮座地の丘は宰相山とも
真田山ともいう。
かつては大坂城の出城「真田丸」
が置かれ、大坂の陣のときには真田幸村
が大坂城から当地までの抜け穴を掘った。
その跡が社殿の下に残っている。
境内には真田幸村の像がある。
******************

さて、天王寺スポーツセンター前に
出ました。
DSC_6901.jpg

DSC_6902.jpg

DSC_6903.jpg

ここの前の車道、アスファルトではなく
ブロック舗装・・・
DSC_6899.jpg

DSC_6900.jpg

景観がええ感じ・・・

真田山小学校へ渡る歩道橋があります。
DSC_6904.jpg

さて、西へ歩くと・・・
DSC_6905.jpg

DSC_6906.jpg

歴史の散歩道、という
石標があります。
DSC_6907.jpg

DSC_6908.jpg

谷町筋へ近づくと・・・

民家を改装して
服を売っている店が・・・
DSC_6912.jpg

少し進むと
何かが道を分けています。
DSC_6913.jpg

DSC_6914.jpg

DSC_6915.jpg

御神木ですね。

楠木大神といわれているそうで
木が古く、白いヘビが
住み着いていたらしいので、
切ることが出来なかったと・・・

また、枝を切ろうとした人が
急死した、という事もあったそうな・・・

庚申塚もそういう話が多いですね・・・

さらに西へ・・・
DSC_6916.jpg

DSC_6917.jpg

熱帯魚屋がありました。
DSC_6918.jpg

うちで繁殖しているエビ・・・
50円で売られていました・・・
うちに200匹ほどいてるんですが・・・

ビンテージバイクギャラリー・・・
DSC_6920.jpg

DSC_6919.jpg

なんか興味があるな・・・

橋を越え・・・
DSC_6922.jpg

おや?花火が・・・
DSC_6925.jpg

スーパー玉出の照明でした・・・
DSC_6926.jpg
スーパー玉出!!
こてこてですね(笑)

ここは道仁小学校跡地。
DSC_6927.jpg

生徒の減少で廃校になった学校のひとつ。
道仁小学校跡には
大阪市立中央会館
・大阪市立島之内図書館
・大阪市立中央スポーツセンター
からなる複合施設が建設されています。
DSC_6928.jpg

DSC_6929.jpg

おとしより健康センターが
併設されています。
DSC_6930.jpg

さて・・・
DSC_6931.jpg

DSC_6932.jpg

DSC_6933.jpg

DSC_6935.jpg

女性の名がつく
お店が増えてきました・・・

その店への貢物を売っている
果物屋と花屋が・・・
DSC_6934.jpg

だるま、店があちこちにありますね・・・
DSC_6936.jpg

心斎橋筋まで来ました。
DSC_6937.jpg

チーズタルト・・・
DSC_6938.jpg

うまそうやな・・・

御堂筋です。
ナイキの店とリンゴの店が・・・
DSC_6940.jpg

DSC_6942.jpg

リンゴの店に行っても
リンゴは売ってませんので・・・
念のため・・・

さて、米村です。
DSC_6943.jpg

DSC_6944.jpg

DSC_6945.jpg

DSC_6946.jpg

DSC_6947.jpg

DSC_6948.jpg

DSC_6949.jpg

DSC_6950.jpg

******************
アメリカ村

長年若者文化の発信地とされ、
「西の原宿」または「西の渋谷」などと
呼ばれることもある。
店舗総数は約2,500店。
島之内の御堂筋以西のうち
御津公園(通称:三角公園)を中心に
展開され、清水町筋 - 八幡筋間には
若者向けの店舗が集中している。

江戸時代には豪商の大坂屋久左衛門が
居を構え、西横堀川
(現在は埋立。阪神高速1号環状線北行き)
の水運を利用した銅吹屋の町だった。
そこから派生して
炭問屋が多かったことから、
島之内の西端は炭屋町と呼ばれていた。
アメリカ村の誕生直前はいくつかの
料亭があるほかは、木材加工業などの
倉庫などが多い業務地区となっていた。

1969年に日限萬里子が南炭屋町に
喫茶店「ループ」を開き評判を集めた。
以降、倉庫を改造してサーファーの若者
などによりアメリカ西海岸やハワイなど
から輸入した衣服類が
販売されるようになり、
アメリカ村と呼ばれ次第に活況を
呈するようになった。

1980年代には衣料、雑貨、レコードなど
の店が並ぶようになり大学生などが
集まる流行の発信地の一つとなった。
このころから京阪神以外の
地域でも有名となる。1990年代はじめ、
タワーレコード心斎橋店(2006年8月閉店)
やビッグステップ
(旧・大阪市立南中学校本校跡地に
大阪市が建設したファッション・
飲食・映画・スポーツクラブの複合施設)
などが建ち、
より多くの若者が集まるようになった。

1990年代中頃から来訪者の低年齢化、
大音量の音楽による騒音、粗悪な商品を
押し売りに近い形で売りつける
悪質な店舗の増加、建物や公共物への
落書きなど街の荒廃が問題になり始めた。
2000年前後から北隣の南船場、
西隣の堀江、さらには阪急梅田駅東の
茶屋町などへ若者が流れてしまい、
1998年に約7万人だった休日1日あたりの
来訪者数は2005年には半減してしまった。
2006年から東京・歌舞伎町の
50台を上回る77台の監視カメラ
(24時間稼動)が設置され、
治安回復を目指している。
******************

ここらは高校時代、
ほぼ毎週行ってましたね・・・

あの頃とは
店も変わりましたが
客層は同じみたい・・・

え?
見た目は若いのに
アイパー頭のグループが・・・

日本語をしゃべっていない様子。
そういうことか・・・

待ち合わせは三角公園で・・・
DSC_6951.jpg

甲賀流・・・
DSC_6952.jpg

たこ焼きがおいしいと有名です。

DSC_6953.jpg
「どないや」
「しらんがな」

なんと2店舗で会話を・・・

高速道路の橋脚も
オシャレです。
DSC_6955.jpg

確かな事は
アメ村の人種と新世界の人種が
明らかに違う・・・

売っている物も違う・・・

アメ村はオシャレな靴を
2足で販売しているけど

新世界では
おっちゃんが履く草履を
片方だけ売っていて・・・

このギャップを楽しむには
アメ村→日本橋→新世界が
おススメです。
DSC_6954.jpg

DSC_6956.jpg


今日はここまで。
140521america.jpg

さて、次はどこへ・・・

「ありのままの写真撮るのよ~
  ありのままの記事を書くの~
   何も怖くない~
    風よ吹け~
    明日どこへいこうか」

  
(アナと雪の女王より)
スポンサーサイト
<< かつ散歩-27 オレンジ・ストリート編 // ホーム // かつ散歩-25 新世界から難波へ編 >>

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック URL
http://maekawa.blog21.fc2.com/tb.php/662-2c246a08
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
// ホーム //
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。