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南市岡 前川

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大阪の夜の町を
何の理由も意味もなく
ただブラブラ歩くだけ・・・
でも、何か新発見があるのでは・・・
と微かな希望を持ちながら
今夜もオッサンが旅に出る・・・


職場の北浜・・・

ここは証券会社が多い町。
ランチの客層もバブルの名残か
やや高級な感じ。
吉牛、マクドがないのです。
最近やっと「すきや」「王将」が
出来た程度・・・
まぁ、経済事情で
変わってきましたけどね・・・

イタリア料理のポンテベッキオも
ありますよ。
なかなか行きませんけど・・・

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洒落た喫茶もあって
たまにブラブラしてみるのも
いいところですね。

裏通りには
節約サラリーマンにはうれしい
乾物屋もありますし・・・
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さて、昼間に中之島付近を散歩して・・・
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公園があって
本当の散歩にはもってこいの場所ですね。

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ひとりの男が立ち小便・・・
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ではなく
下界を見下ろしています。

この男、五代 友厚・・・

******************
五代 友厚(ごだい ともあつ)

天保6年12月26日(1836年2月12日)~
明治18年(1885年)9月25日)は、
日本の武士(薩摩藩士)、実業家。
薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷
(現鹿児島市長田町)生まれ。
幼名は徳助。通称才助。
大阪経済界の重鎮の一人。
当時、
「まさに瓦解に及ばんとする萌し」(五代)
のあった大阪経済を立て直すために、
商工業の組織化、信用秩序の
再構築を図る。

【大阪商法会議所設立】

明治初期、維新変動の波を受け、
大阪経済が低迷する。
銀主体の商取引の廃止や藩債の
整理による富豪や両替商の
資産消失が主な原因であった。
この事態を打開し大阪経済の復活を
願って財界指導者の有志15名が
明治11年7月に大阪商法会議所設立の
嘆願書を大阪政府に提出。
これが今日の大阪商工会議所の礎となる。
設立背景は、国内に事件がおこると
常にドサクサに紛れ悪辣な金儲けをする
者が増えるのを防ぐため、
また互いを助け合うために実業家たちの
一致団結による協力と意見交換の場が
必要とする考えに起因する。
嘆願書の集め方は五代らしい強引な
勧誘で、決め文句は「万が一、後に会へ
加盟を申し込んでも拒絶、もしくは
巨額の入会費を徴収する」で、
結果的に60人の同志を獲得した。
初代会頭は五代友厚。
大阪商法会議所を設立した目的は
大阪の実業家の相互扶助によって
新時代の潮流に棹差し大阪商人の伝統で
ある信用第一主義に則り以って自己の
利益を増すと同時に大阪の繁栄を軸に
国富の増強に資するといった
教育勅語的な趣旨に基づいた遠大な
意図だった。役員の構成は、五代を初め
計11人が創立委員となり鴻池善右衛門、
三井元之助(後の三井財閥)、
広瀬宰平(後の初代住友総理人)らの
150株を筆頭に皆で立ち上げた。
五代は初代会頭として生みの子の育ち
いく姿をみて
「大阪が日本の産業と金融機関の中枢に
なるのはすぐだ」と呟いた。
******************
大阪の経済の繁栄の立役者の
お一人です。

堺筋と土佐堀通との交差点に
碑があります。
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大阪俵物会所跡ですね。

******************
大阪俵物会所跡

江戸時代には、金・銀・銅などの重要な
生産物の売買については幕府の厳しい
統制化におかれ、会所という売買センターで
特定の商人によって扱われていた。
俵物(たわらもの)と呼ばれるふかのひれや
干なまこ、干あわびなどは、
江戸時代には日本の重要な特産品で、
長崎から中国などにむけて
輸出されていた。この俵物は輸出入の
代価に用いられることもあったので、
延享元年(1744)に大阪に会所が設けられ、
ここで売買が行われた。
会所ははじめ備後町にあったが、
安永6年(1777)にこの地に移り、
明治まで続いた。
******************

さて、堺筋を南下します。

懐かしいですね、このカエル。
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そばに蒲鉾の大寅が。
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なぜここに・・・
手みやげに・・・だろうか。

そしてスィーツの「GOKAN」です。
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わたしはルピノーが好きなので
ここではあまり買いませんが
人気店です。
http://www.patisserie-gokan.co.jp/main.php

北浜は
古い建物と新しい建物が融合した町です。
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銀行なんかも高級感がありますね・・・
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通りのはずれに大学もあり・・・
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あぁ、麻雀大学か(笑)

少し堺筋から離れますが、
私の仲良し仲間が集まる店があります。
「なべ料理 よし富」です。
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レトロ感満載です。
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中央大通りまで出たら
船場センタービルがあります、
が、
ここはまた今度です。
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堺筋をはずれ、
南に歩きます。
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地球バッグ?
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どんなバッグやろ・・・

昔ながらの床屋
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異国感満載の飲食店があり・・・
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久宝寺橋まで来ました。
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さて、
大阪久宝寺町問屋街を西へ行きます。

この時間、殆どシャッターですね・・・
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開いている店があります。
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お~マジンGO~
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店の中はオッサン達の宝が眠っています。

堺筋を越え・・・
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船場カリー・・・
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美味しそうな香りが・・・

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手打ちそば教室があるようで・・・

歩いているうちに
心斎橋筋商店街に着きました。
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ここにも気になる店が・・・
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さて、
まだ心斎橋から道頓堀まで

歩いて行くのですが
長くなるので
今日はここまで。
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さて、次はどこへ・・・

「ありのままの写真撮るのよ~
  ありのままの記事を書くの~
   何も怖くない~
    風よ吹け~
    明日どこへいこうか」
  

(アナと雪の女王より)
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